かつてないほどグローバルなこの時代に生み出された、知れば知るほど違いが浮き彫りになり、嫌悪感が増す、という、どうしようもなく生理的なアンヴィヴァレンツを基軸とした、人種憎悪の巨大な負のエネルギーは増大するばかりではなかったか。民間のレベルで言えば(政治的な思惑は別にして、という意味である。この国民感情という、とらえどころのない、しかしすさまじいパワーを無視しては、結局のところ政治は動かないし、だからこそ、それが意図的に操作されがちなのだ。すべてはここが土台、ここからが第一歩、ここにおいた焦点から常に大きく離れないようにしていこうと思う)、親和的に共感をはぐくむ、ということには必ずしも言語を必要としないのではないか。"
ヘイ
メーン!!
オレはシロクマ
地上じゃSAIDAIの肉食獣
オレに比べりゃ
トラもネコサイズ
ムテキのキングサイズ
4・6・9・M・A!!
そうさ
北極生まれ
遥か極東に流れ
オレは生きてる
なんとかやってる
でもオレの故郷
氷が欠乏 みんなが絶望
最大の肉食獣
今じゃ絶滅危惧種(OH NO!)
ありえないぜ
もう黙ってないぜ
生き残れ!
生き残れ!
生き残れ!
4・6・9・M・A!!
4・6・9・M・A!!
4・6・9・M・A!!
センキュー
メーン!
少しずつ、少しずつやってゆけばいい。今まであった成分の喪われた大地なら、また、これまで考えられないような、全く違う方向からやってくる成分が加えられることも、充分考えられる。新しいそれが、従来の大地のバランスの中に収まって機能してゆくのには時間がかかるだろうし、眉をひそめるようなことも、しばしば起きるかもしれないけれど。
耐えられるだけ深く悲しんで、静かに自分の胸に収めていこう。そして少しずつ、少しずつ、土壌菌のように、自分の仕事を積み重ねて行こう。丁寧に、心を込めて。それがネムノキの花のように、儚く見えるものであっても。
このささやかな文章もまた、どうかその大きな轍を追ってゆく一つとなりますように。
ただひたすら信じること、それによって生み出される推進力と、自分の信念に絶えず冷静に疑問を突きつけることによる負荷。
相反するベクトルを、互いの力を損なわないような形で一人の人間の中に内在させることは可能なのだろうか。その人間の内部を引き裂くことなく。豊かな調和を保つことは。
裸足の足を流れに取られないように岩の上においていく。岩の上を趨る水流はさほど深くはないが
先日からの雨のせいで、激しく峻烈だ。平らな部分より少し傾斜のあるごつごつしている場所の方が足を安定させ易い。
何か方法があるのだろう。それは歩行の際、着地点を瞬時に按配するような、そういう何かちょっとした無意識の筋肉の操作に匹敵するコツのようなものなのだろう。二つ以上の相反する方向性を保つということは、案外一人の存在をきちんと安定させていくには有効な方法なのかもしれなかった。コツさえ見いだせば。
"共感してもらいたい
つながっていたい
分かり合いたい
うちとけたい
納得したい
私たちは
本当は
みな"
「あなたの躰はあなたが動かしているのだ」
「あなたを連れていってくれるのは、あなたしかいない」
「あなたはどこへ行きたい?」
私は誰かに好きになってもらいたかった。
でも、そのまえに、
誰かを好きになろうと思います。
『僕は秋子に借りがある I’m in Debt to Akiko 森博嗣自選短編集』(森博嗣 著)
― 卒業文集 Graduation Anthology
